11〜20年目のサロン講演リスト(1994年~2003年)
平成15年(2003年) サロン・ド・K 20年目 | |||
---|---|---|---|
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/29 | ES細胞と再生医療の未来 | 大阪大学名誉教授,千里ライフサイエンス振興財団理事長 |
岡田 善雄 |
2/24 | ナガサキアゲハの分布拡大と地球温暖化 | 大阪府立大学先端科学研究所客員研究員 |
吉尾 政信 |
3/26 | マラルメとマネ ─詩と美術の対話─ | 東京大学大学院総合文化研究科教授 |
竹内 信夫 |
4/23 | 渡り鳥は世界を結ぶ | 龍谷大学非常勤講師 |
須川 恒 |
5/28 | 太陽活動と地球環境 | 大阪経済大学人間科学部教授 |
久保田 諄 |
6/25 | オペラと音響デザイナー | びわ湖ホール音響デザイナー |
小野 隆浩 |
7/23 | 中村要と反射望遠鏡 〜宇宙物理学の黎明を支えて〜 | 京都大学理学研究科宇宙物理学 |
冨田 良雄 |
9/26 | 街のチョウ・里のチョウ | 南大阪昆虫同好会 |
阪口 博一 |
10/22 | 13世紀ヨーロッパ史における「シチリアの晩鐘事件」&歌劇「シチリアの夕べの祈り」の 見どころ・聴きどころガイド | 京都大学再生医科学研究所 |
村上能庸 |
12/10 | 褒章の話 | 杉本特許事務所 所長 | 杉本勝徳 |
▲このページのTOPへ | |||
平成14年(2002年) サロン・ド・K 19年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/30 | 遺伝子組み換え植物の研究と食品の安全性 | 大阪府立大学大学院 農学生命科学研究科 教授 |
足立泰二 |
2/27 | 特許に関する最近の話題 | 杉本特許事務所所長 |
杉本勝徳 |
3/19 | 儲かる中国ビジネス | 江村技術士事務所 所長 |
江村和朗 |
4/24 | 関一とその時代 | 桃山学院大学経済学部教授 |
芝村篤樹 |
5/29 | 色彩の生理学 ─ 色と生体との関係 ─ | 大阪大学大学院・医学系研究科・情報生理学 |
佐々木 仁 |
6/26 | 酒は百薬の長か? —内科医から見た飲酒— | 武田薬品工業株式会社 常務取締役 |
中村允人 |
7/31 | ニュースを歴史で読む | 大手前大学人文科学部 学部長 |
鈴木利章 |
8/28 | フィリピンのエイズ予防に取り組む | バイオベンチャー(プロテイン・エクスプレス)顧問 |
寺岡 宏 |
10/31 | 大阪水物語 ─大阪三郷の水の歴史と淀川をめぐる 現代の課題─ | 大阪府立大学大学院農学生命科学研究科教授 |
荻野芳彦 |
11/27 | 体験!発明ごっこ | ナビイ機械 |
入江紀之 |
▲このページのTOPへ | |||
平成13年(2001年) サロン・ド・K 18年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/23 | デジタルネットワーク時代へのチャレンジ | ソニー株式会社 フロンティアサイエンス研究所 所長 |
渡辺誠一 |
2/28 | IT時代の位置情報ビジネス | 株式会社ローカス 社長 |
神島博昭 |
3/28 | 鉄の化粧 | 住友金属建材 堺製造所設備部 |
山崎浩史 |
4/19 | クラシックとヌーベル —職人の勘と科学— | カフェ・ヴィーナー・ローゼ 菓子工房シェフ |
野上 隆 |
5/25 | IT散歩道 — 通信あれこれ — | 日立製作所 情報・通信プラットフォ−ム 主管技師長 |
斧田誠一 |
6/27 | 歌舞伎界の裏話 | 毎日新聞 学芸部編集委員 |
宮辻政夫 |
7/25 | 関西初のオペラホールができるまで | (財)びわ湖ホール副館長 |
上原恵美 |
9/26 | 日本の経済はこれからどうなるか? | 歯科医院 院長 |
駒井俊雄 |
11/3 | イタリアオペラの楽しみ方 —ヴェルディ-プッチーニの作品を中心にー (一泊サロン) | 神戸親和女子大学 教授 |
山本裕之 |
11/28 | 高山右近とキリシタンの歴史あれこれ | 大阪府立山田高等学校教諭 | 梅田裕久 |
▲このページのTOPへ | |||
平成12年(2000年) サロン・ド・K 17年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/26 | 宇宙は人間のふるさと | 兵庫県立西はりま天文台 台長 |
黒田武彦 |
2/23 | 補体にホの字,補体のホの字 | 大阪府立看護大学医療技術短大部 教授 |
北村 肇 |
3/22 | クローン動物はどのようにして作られるか? | 近畿大学農学部 教授 |
角田幸雄 |
4/26 | 私の開発した機器 ─ なぜ技術者は夜遅くまで働くか ─ | 古野電気株式会社 システム機器事業邨 部長 |
藤原義則 |
5/31 | 新しい「科学歴」の提唱 ─2000年騒ぎに触発されて─ | 角辻総合人間科学研究所 所長 |
角辻 豊 |
6/28 | 生活環境音の現状と音環境のあり方 | 大阪府立産業技術総合研究所システム技術部 |
片桐真子 |
8/30 | 株は必ず儲けられる | 杉本特許事務所 所長 |
杉本勝徳 |
9/27 | 日本酒の歴史 | 種智院大学 教授 |
吉田 元 |
10/25 | 中東の砂漠にLNGプラントをたてよう | 日揮株式会社 |
藤井智章 |
11/29 | 空から見た日本,ちょっと怖い! | 全日空 機長 | 清水兼夫 |
▲このページのTOPへ | |||
平成11年(1999年) サロン・ド・K 16年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/27 | 南極越冬の心理学 | 京都大学 医科学研修員 |
池川雅哉 |
2/24 | 笑いと人間 | 角辻総合人間科学研究所 所長 |
角辻 豊 |
3/23 | ホンジュラスに滞在して | 反保 弘美 | |
4/21 | セラミックスとは何だろう | 工業技術院大阪技術研究所 セラミック研究室 |
近藤 功 |
5/26 | 高温・高圧流体技術の発展とその応用 | 高温・高圧流体技術研究所 研究所長 |
小郷良明 |
6/16 | 古典伝統芸能「能・狂言」考 | 羽衣学園大学 教授 |
安東伸元 |
7/28 | 遺伝子組みかえ技術を考える | 種智院大学 教授 |
吉田 元 |
9/29 | 旅と音楽 | 森本 剛 | |
10/27 | 水性シダ ─アカウキクサ属の生活史 | 元 神戸市立港島小学校 校長 シダ学会会員 |
白岩卓己 |
12/1 | 衣料用合成洗剤アタックの商品開発 | 花王株式会社 ハウスホールド研究所 |
鈴木 哲 |
▲このページのTOPへ | |||
平成10年(1998年) サロン・ド・K 15年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/28 | 液晶あれこれ ─広がる液晶の世界─ | シャープ株式会社 液晶事業部本部長 |
前田 光 |
2/25 | 生活様式を変えた最近の身近な発明 | 杉本特許事務所所長 |
杉本勝徳 |
3/26 | ワインとウィスキー | サントリー株式会社 経営企画部課長 |
三鍋昌晴 |
4/22 | 果物の生活環とその制御 | 大阪府立大学 農学部講師 |
尾形凡生 |
5/27 | マルチモーダルコミュニケーション技術 ─ATRのアプローチー | 国際電気通信基礎技術研究所 副所長 |
酒井保良 |
6/24 | サルからのメッセージ | ㈶日本モンキーセンター動物園長 |
小寺重孝 |
8/26 | モンゴルで恐竜を掘る日本人 | 林原自然科学博物館開設準備室 |
石垣 忍 |
9/29 | クワガタムシから見た生物地理学への誘い | 京都大学大学院 人間環境学 |
荒谷邦雄 |
10/28 | 年々彩々 —色ぬきで何で花実が咲くものか— | カラーセラピスト |
光岡幸子 |
11/26 | 飛行機とその歴史 | 京都大学再生医科学研究所 リサーチアソシエイト |
大橋美奈子 |
▲このページのTOPへ | |||
平成9年(1997年) サロン・ド・K 14年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/29 | 地球環境と科学技術 | 地球環境産業技術研究所 副所長 |
和佐清孝 |
2/26 | パズルの面白さ(△□ゲーム) ─発想の原点─ | チロリアンゲームソフト研究所 所長 |
林 義隆 |
3/18 | 上方落語への招待 | 武田薬品株式会社 常務取締役 医薬開発本部長 |
中村允人 |
4/25 | 生活の中の天文学 ─暦を中心として─ | 兵庫県立宝塚高校 教諭 |
安積聖夫 |
5/21 | メロン物語 | 大阪中央青果株式会社 果実部部長 |
中川勝弘 |
6/25 | 四の字嫌い | 大谷女子短期大学 文学部教授 |
鈴木 博 |
8/27 | 海外青年協力隊から見たネパール | 松下電器産業株式会社 |
上之山陽子 |
9/24 | 知っておきたい訪問看護 | 徳州会野崎病院 院長 |
藤林 保 |
11/8 | 旧田辺邸移築顛末記 ─阪神大震災と歴史的建造物─ (一泊サロン) | 大阪市立大学 生活科学部教授 | 谷 直樹 |
11/26 | マネージドケアの中の米国医療と老後 ─増加する老人人口とケア施設─ | 和代・K・スーディ | |
▲このページのTOPへ | |||
平成8年(1996年) サロン・ド・K 13年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/24 | シインデアソボ | 大阪府立看護大学医療技術短期大学部 教授 |
北村 肇 |
2/28 | 食品の分析と食品の化学的解説 | 株式会社化研 |
神内重矩 |
3/27 | 科学技術と大学 | 奈良先端科学技術大学院大学 副学長 |
谷 吉樹 |
4/24 | 漫画家たちの「今」と「これから」 | 漫画家 |
篠原ユキオ |
5/29 | 日本に於けるオペラの現状 | 大阪音楽大学 声楽科教授 |
草野道弘 |
6/28 | 里山と川の荒廃と自然保護 | 元 静岡大学 教授 |
河端政一 |
8/28 | 中央市場:流通の仕組みと価格 | 東海商店 社長 |
東海秀行 |
9/25 | 老いを考える | 大阪府立こころの健康総合センター 所長 |
乾 正 |
10/23 | 国際化って何だろう | NOVA INCORPORATED 代表取締役 | 山本達雄 |
11/20 | オルゴール誕生200年によせて | 村上泰造 | |
▲このページのTOPへ | |||
平成7年(1995年) サロン・ド・K 12年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/25 | 杜仲茶事業の開発と展開について | 日立造船株式会社 バイオ事業部 部長 |
太田三千雄 |
2/22 | 近畿の活断層と地震 | 灘高校 地学科教諭 & 宝塚高校 地学科教諭 |
野村敏郎 安積聖夫 |
3/22 | 地震と建物 | フットワーク建設株式会社 営業部部長 |
富田恭弘 |
4/26 | ヨーロッパへの企業進出を経験して | 和光純薬工業株式会社 海外開発室長 |
藤澤一夫 |
5/24 | 東南アジアでの企業体験 ─タイで見たこと知ったこと─ | 森下株式会社 取締役 |
森田進一 |
6/28 | 節用の日本文明 ─むかしの日用百科「節用集」を考える─ | 京都大学 人文科学研究所助教授 |
横山俊夫 |
8/23 | インターネットのお話 ─あなたの生活が変わる!?─ | 大阪大学 基礎工学部助教授 |
馬野元秀 |
9/27 | 関空開港から1年,日本の空のおもしろMAP ─でもやっぱり飛行機は怖い─ | 全日空国際線キャプテン |
清水兼夫 |
10/25 | モロッコの建築と文化 | 京都府立大学大学院 |
山田智子 |
11/22 | まじめな地球防衛天文台計画 | 灘高等学校 地学科教諭 | 野村敏郎 |
▲このページのTOPへ | |||
平成6年(1994年) サロン・ド・K 11年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/26 | がんはここまで治る | 大阪府立成人病センター名誉総長 |
佐藤武男 |
2/23 | キミはよそ者,ボクはボク ─自己免疫のプロフィール─ | 大阪府立成人病センター 研究所第6部 |
北村 肇 |
3/30 | オペラ ─その新しい時代を迎えて─ | 東京オペラ協会代表 |
石多エドワード |
4/27 | 日本民族の成立と国民文化の形成 ─その特殊性─ | 歯科医師 |
駒井俊夫 |
5/24 | 電通“め組”細腕繁盛記 | 電通 関西支社 |
中井紅弥 |
6/22 | あやしい舞台監督 | 舞台監督 |
田川 律 |
7/16 | 祇園祭の魅力と実際 (一泊サロン) | 建築積算事務所 所長 |
内藤薫男 |
9/28 | ヒトは何故ハッハッハと笑うか? | 角辻総合人間科学研究所 所長 |
角辻 豊 |
10/19 | 脳の科学,その正常と異常 ─脳に作用する薬物─ | 九州大学 薬学部助教授 |
山本経之 |
11/25 | かな書の周辺 | 書道家 |
小道菫舟 |
▲このページのTOPへ |
20周年記念誌の紹介
サロン・ド・Kは、1984年1月以来、続いています。この間、発足から10年目と20年目には優遊空間と称する記念誌を発刊しました。前者は、「 優遊空間 サロン・ド・K10周年記念誌 」を1994年に、後者は、「 優遊空間 その2 サロン・ド・K20周年記念誌 」を2004年に、発刊しました。その内容は、サロン・ド・の概要、講演内容(テーマとその講師)のリスト、メンバーの方々の作文などを並べたもので、完成した本は、原則としてメンバーの方々に配布しました。国立国会図書館にも送付しましたので、国立国会図書館の日本全国書誌(No. 2481)の民間出版物にも掲載されています。
ここでは、優遊空間 その2 サロン・ド・K20周年記念誌 より、私の拙文を紹介します。
優遊空間の20年
(大阪府立看護大学医療技術短期大学部 部長)
最近頭を占めること
医学部卒業後の1年間のインターンの次の年、私は大阪府立成人病センター勤務になりました。以来臨床と研究に従事してきましたが、9年前何を血迷ったか、医者を廃業し、教育職に鞍替えしました。一番の理由は、好きなテーマの研究を続けたかったからです。その希望は、研究費の不足や環境・設備の不備に悩まされながらも、ある程度は叶えられ、学生相手の講義とともに自分のささやかな研究を楽しくやってきました。こうして計35年もの間、大阪府に所属する(医者or教師と共に)研究者であった訳です。誰でも人生の途中で重大な選択(賭け?)を余儀なくさせられますが、私は研究をライフワークにしたことは大正解であったと断言できます。停年まで後2年となった今年春、思いがけず部長になりました。短大部の責任者であり、初めての管理職です。このとき、「最後の2年は大阪府民のために仕事を……」と考えました。ところがこの仕事、覚悟はしていたつもりですが、これまでのものとは180度違い、次々と登場する諸問題(上は‘今後の日本のためには教育体制はどうあるべきか?’を問う文書が来る、から下は「ウチの学科の○○先生は仕事をしない。部長としてなんとかしろ」と言ってくる、まで守備範囲は広い)に戸惑うことばかり。特に、これまでヒラの時に抱いていた“府政は府民不在では?”の疑問が、部長になってほとんど確信になる……に至っては、どう考えて良いのやら。実を言えば、4ヶ月経った今もまだほとんどパニック。おかげで胃潰瘍、狭心症、腰痛、膿胞症など、しばらく沈静化していた持病が一斉に顔を出す始末。ただし(これまでは世界の医学に貢献!のつもり、でしたが)この仕事は、学生、教職員、ひいては大阪府民の生活や人生に直接関わる重大問題であることが多く、適当に処理…は許されません。もう数ヶ月経つと少しは慣れて余裕を持って仕事ができる…を期待する毎日です。
さて、サロン・ド・K
「職場と家の往復だけでは視野が狭くなる…」でワイフと“サロン構想”を考えたのが約30年前、我々の級友の協力を得て始めたのが20年前ということになります。誰もこんなに長く続くとは考えていなかった筈ですが、メンバーの方々のご協力のおかげでここまで続けてくることができました。最近同じようなサロンが他にもいくつもあるそうですが、サロン・ド・Kの特徴は、1)質問タイムの充実:講演して戴いた偉い先生に向かって、素人が遠慮なく(不躾な)勝手な質問を投げかけ、講師の先生が呆れて言葉を失う……なんて図は、20年間ずっと見てきました。講師の先生には少々失礼かも知れませんが、これがあるから講師の主張を少しでも理解し、その生き様や人生観に触れることができるのだと思います。2)広範囲の講演テーマ:特定の思想の押しつけや宗教の勧誘以外は何でも結構、でやってきました。ただし、知らず知らずのうちに私自身の好み(偏見)で偏りが生じている可能性があります。メンバーの方で何かお気付きなら、どんどん進言して下さい。3)メンバーは平等:メンバーの年齢や職業は出来るだけヴァラエティに富む方が良く、そこには、上下の差はない、でやってきたつもりです。色んな見方や考え方がある、を知るのもサロンの利点でしょう。ただし、ここでも私の偏見で、ある種の範疇の人物集団になっているのかも知れません。例えば、‘自分は尊敬されるべき’と信じている人は、サロンに来ても全く特別扱いされないので面白くないらしく、メンバーとして長続きしません。4)おかしな例会案内:例会案内をメンバーの皆様に届けていますが、次回の講演のアナウンスだけにすれば良いのに、押しつけがましいコメントが入っています。その内容は、私の知識・思慮・世界観などの狭小さを露呈しているだけで、お恥ずかしい限りではありますが、たまに褒めて戴いたり、「見るのが楽しみ」とおだてる人がいるので、ついあんな文章になります。ほとんど読まない人もいるのは知っていますが……。ただし、今月の言葉は概して好評です。
サロンこの10年
この10年はサロンとしては特に変わったことはないつもりでいましたが、この20周年記念誌を発刊するに当たり、10年間の例会案内を眺めてみると、はっきりと世の移り変わりが分かります。例えば、大阪市内の電話番号は地域局番に6が付き、4桁になりました。私への出欠連絡に e-mail が登場しました。サロンの講演スタイルでは、プレゼンテーション備品がスライドやOBPから講師持参のPCを液晶プロジェクターに繋いで……の方式に変わって来ています。テーマでは、インターネット入門がありますが、今では私もインターネットは生活の一部になっています。確かに、PC、情報、通信を中心としてこの10年の進歩は目を見張るものがあります。この10年のサロンで変わったことと言えば、ミレニウム記念にタイムカプセルを敢行したことでしょう。2015年に開けることになっていますが、「(それまで)阪神タイガースの優勝はない」と書いた人は先見の明がない人です。反省して下さい!(サルでもするけど)また、この記念誌では“講師とテーマ”のページに各々の年の国内&国際10大ニュースを載せました。(今ではこんなこともネットで調べます。それも10年前には考えられなかったことです。)当サロンのテーマは、自然科学や芸術のように、時代のニュースにはほとんど無縁のものも多いのですが、ニュースに素早く反応しているものもあります。阪神大震災が典型で、その後2ヶ月は地震をテーマにしたところ、記録的に数多くの方々が聞きに来たのを昨日のように思い出します。そう言えば、お願いしていた講師が講演の2週間前に急逝して慌てたこともありました。
私のこの10年 私個人のここ10年のニュースは、1)医者を廃業して教師になったこと:おかげで給料が減ったり通勤時間が延びたりもしたけれど、上部からの不満がないので好きなテーマの研究ができたこと、他学の研究室との共同研究がいくつかあり、若い研究者と親しくなれたこと。学生講義を楽しくやり、学生との交流が増えたこと。2)ピアニスト堀江先生を知り音楽生活が蘇ったこと:しばらく休んでいたヴォーカルを先生の素晴らしい伴奏で、楽しませて戴いています。特に、自分のオリジナル曲が堀江先生の名アレンジのおかげで見事な曲に変身し、他人にまで歌ってもらえるようになりました。私にとって最高のストレス解消になっています。3)管理職になったこと:上記のようにとても楽しんでやれるものではなく、頭を抱えながらの仕事です。でも与えられた部長室は広くて快適です。皆さん、気が向いたら訪ねて来て下さい。
“今月の言葉”
例会案内に載る“今月の言葉”は、メンバーから私への出欠連絡文にもしばしばコメントが登場し、案外好評です。そもそもこれは、正面から見るのを避けて斜めから見る人には、一般の者が気付かない真理が見えたりする、を示したかったのですが、気がつくと自分で勝手に広義な解釈とし、種々の印象的な言葉を載せたりするようになっていました。ですから、決して人生の役に立つ教訓・格言・諺だけではありません。その典型は、96-2<海の果てに/満月が出たよ/はまゆうの/花の香に/海女は真珠の/涙ほろほろ/夜の汽笛が/悲しいか —歌謡曲「君の名は」(織井茂子)より—>です。(安田先生の言葉にあるように)当然高邁なコンセプトによって選んだ訳ではありません。その案内文を書いた頃、往年の歌手、織井茂子が死亡したというニュースが伝えられ、私の中学時代の愛唱歌の一つであったこの曲を懐かしく思い出して採用しただけです。
今回10年分の今月の言葉を並べてみると、なるほど!と思わせる言葉や“目からウロコ”的な良い言葉がたくさんあります。この中からメンバーの皆さんに好きな“今月の言葉”を選んで戴いたところ、皆さんはしっかり自分の意志で選んでくれました。各々の個性がこんなところに垣間見られるのは面白いことです。その結果、決して(いくつかの言葉に)偏らなかったことを嬉しく思いました。サロンのメンバーは互いに仕事、生活、価値観などヴァラエティに富み、自分を隠すことなく表現し、みんなが自分とは異なる他のメンバーを認め合っている……そんなサロンの雰囲気そのものがこのアンケートに表れたような気がしています。
今後のサロン
サロン20年、場所が変わったり、新聞に載ってメンバーの数が一時飛躍的に増えたりしましたが、そのスタイルは初期の頃からずっと同じです。今後も同じでしょう。角辻先生ご夫妻から「はじめちゃんは頑固やから」と言われている私ですから、スタイルはともかく、やはり20年の歳月はそれなりの伝統みたいなものを生み出しているような気がしています。10年前とは異なり、メンバー諸氏が毎回のサロンの進行に慣れ、講師を囲んでの質問タイムでは、和気あいあいの雰囲気の中でかなり自由に自己を表現した質問や意見が出、みんなで楽しめるようになりました。この自由な空気(これぞ優遊空間)を感じる度に続けて来て良かったと思います。サロンの帰りの電車の中でワイフと「(サロンも)良い雰囲気になってきたねぇ。」と言い合ったこともしばしばです。これは、サロン・ド・Kが成長したことを示していると言えそうです。走り回っていた10歳の子供が少しは分別のある20歳の青年になったみたいに……。 メディアからの殺伐とした話題が多い現在、サロンでは講師が夢を語ってくれます。我々はそこから夢を感じ、自分の明日の活力の素にする……。やっぱりこれは最高の贅沢かも知れません。長い間やって来れたのはメンバーのみなさんのご支援があったからです。これからも皆さんと一緒に、夢を求めて行きたいと思います。今後もよろしくお願いします。
大業を成し遂げようと思ったら、年老いても青年でなければならない。 — ゲーテ —
それではまたサロンで逢いましょう。
平成15年8月