21〜30年目のサロン講演リスト(2004年~2013年)
平成25年(2013年) サロン・ド・K 30年目 | |||
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日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/30 | 老いを楽しむこと ― 新たな文明のために | 京都大学名誉教授、滋賀大学理事 | 横山 俊夫 |
2/27 | 関西・大阪を映画の都に ― 関西からの情報発信 アートポリス大阪協議会 13 年の歩み ― | 株式会社 けいはんな 代表取締役 社長 | 梅田 哲 |
3/27 | 京(みやこ)と香り | 株式会社 松栄堂 主人 | 畑 正高 |
4/24 | 日独通訳の仕事 | ドイツ連邦共和国総領事館 通訳・翻訳部長 | ベアーテ・フォン・デア・オステン |
5/29 | 科学者の良心 ― リーゼ・マイトナー と ジョセフ・ロートブラット ― | 和光純薬工業株式会社 常勤監査役 | 織田利彦 |
6/25 | パタゴニア紀行 ― "地の果て"の旅 ― | 株式会社 新日本科学 顧問 | 中村 允人 |
7/24 | 大阪の未来 ― グランフロント大阪のまちづくりからの考察 ― | 一般社団法人グランフロント大阪TMO 事務局長 | 廣野 研一 |
9/25 | 次世代植物工場による高品質作物の生産と海外展開による新産業育成 | 京都府特別参与(前京都府立大学学長) | 竹葉 剛 |
10/23 | ロボット最前線 | マッスル株式会社 代表取締役社長 | 玉井博文 |
12/4 | ドイツのクリスマス | 元 和光純薬ドイツ法人社長 | 藤澤一夫 |
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平成24年(2012年) サロン・ド・K 29年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/24 | 睡眠学のすすめ | 滋賀医科大学 睡眠学講座 特任教授 | 大川 匡子 |
2/28 | 定年おじさん中小企業奮闘記 ─ 光ファイバでセンシング ─ | 関渡辺製作所 取締役 研究開発部長 | 斧田 誠一 |
3/27 | 上村松園 その芸術と人生をたどる | 松柏美術館 学芸員 | 鬼頭美奈子 |
4/25 | スマート・コミュニティ開発事業 ─その「光と影」─ | 前 日商エレクトロニクス株式会社取締役会長(現 双日顧問) 日本イスラエル商工会議所副会頭・理事 | 辻 孝夫 |
5/30 | 水族館の歴史と役割 | 京都水族館 館長 | 榊原 茂 |
6/26 | テレビ局おもしろ裏話 | 関西テレビ(8ch)アナウンサー | 関 純子 |
7/25 | 最新洗濯機を通じて洗濯の本質を考える | ハイアールアジアインターナショナル株式会社 洗濯機R&Dセンター 技術開発部 担当部長 | 鳶 幸生 |
9/26 | サトウの切り餅特許事件 | 杉本特許事務所所長 弁理士 | 杉本勝徳 |
10/24 | デジタル画像による文化財復元 | (資)文化財復元センター 代表 | 大隈 剛由 |
11/28 | 欧州の街角再見 | 元 和光純薬ドイツ法人社長 | 藤澤 一夫 |
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平成23年(2011年) サロン・ド・K 28年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/25 | 文化施設の意義 | 京都橘大学教授 | 上原恵美 |
2/22 | 泊園書院と大阪の学芸 | 関西大学教授・文学部長 | 吾妻重二 |
3/22 | 旨い魚を競り落とす -- 日本人の舌は世界一 | 元 和歌山魚類株式会社 社長 | 石谷暢宏 |
4/26 | 南極越冬隊員の医療活動 | 多根総合病院 外科副部長 | 小川 稔 |
5/24 | 尾形光琳の芸術世界 | (財)大和文華館 学芸部部長 | 中部義隆 |
6/28 | 明石海峡大橋にかけた夢 | 島田構造物研究所 所長・元 橋の科学館 橋のマイスター | 島田喜十郎 |
7/16 | 祇園祭 (一泊サロン) | 奈良県立医科大学住居医学講座 | 村上能庸 |
9/27 | ドイツの脱原発政策と再生可能エネルギー | 元 和光純薬ドイツ法人社長 | 藤澤一夫 |
10/25 | テレビCM制作のよもやま話 | キーウェスト・オフィス 代表 | 西谷尚雄 |
11/22 | 超鮮度のトロ鰹の藁焼きたたきの開発と そのおいしさの秘密 | 有限会社ビーワンフード 取締役 | 世古隆信 |
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平成22年(2010年) サロン・ド・K 27年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/26 | 鯨は資源か?日本人との共生を考える | 総合地球環境学研究所・副所長 教授 | 秋道 智彌 |
2/23 | 欧州に学ぶ都市景観 | 元 和光純薬ドイツ法人社長 | 藤澤 一夫 |
3/23 | 新中南米紀行 我が第2の故郷中南米 ~メキシコからフエゴ島まで~ | 玉手山学園 法人本部 副部長 | 則松 武夫 |
4/27 | 伝統的寺院建築の構造と工法 | 株式会社 尾田組 社長 | 尾田芳信 |
5/14 | 葵祭のみどころ | 天文学者、賀茂文化研究会会長 | 梅辻 諄 |
6/22 | 鉄と超伝導 | 大阪市立科学館・事業担当課長 | 齋藤吉彦 |
7/27 | 日本の農業と食料の未来 | 神戸大学名誉教授、兵庫農漁村社会研究所代表 | 保田 茂 |
9/28 | お薬の話、ジェネリック医薬品とは? | 田辺製薬販売株式会社 顧問(前社長) | 岡田文俊 |
10/27 | 光明皇后の実像 | 京都女子大学 文学部 教授 | 瀧浪 貞子 |
12/1 | 病気にならないための食の秘訣 | 関西福祉科学大学 健康福祉学部 教授 | 北村 肇 |
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平成21年(2009年) サロン・ド・K 26年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/19 | 野球はどこから来てどこへ行くのか | ノンフィクション作家 | 佐山和夫 |
2/24 | 日本人のがん パート I | 株式会社 新日本科学 顧問 | 中村允人 |
3/24 | 日本人のがん パート II | 株式会社 新日本科学 顧問 | 中村允人 |
4/30 | 日本のロケット打ち上げについて | コスモテック 南日本事業部 主任 | 安田 礼 |
5/26 | カンボジアの住まいや都市に学ぶこと | 近畿大学理工学部建築学科准教授 | 脇田祥尚 |
6/30 | 55年目を迎えた難波宮跡の発掘について | 流通科学大学 情報学部 教授 | 長山雅一 |
7/28 | 大麻と脳内物質としての“大麻”様物質−その有害性(薬物乱用)と医薬品としての応用 | 長崎国際大学薬学部 教授 | 山本経之 |
9/29 | 京・大坂と江戸の間 ─「鳥獣戯画」から「生類憐みの令」まで ─ | 関西学院大学 社会学部 教授、国立国際日本文化研究センター客員教授 | 奥野卓司 |
10/27 | 音声に対する日本人の感性 | 関西二期会 理事長、京都市立芸術大学名誉教授 | 蔵田裕行 |
11/24 | 豊臣権力の京都改造と大山崎 | 大山崎町歴史資料館学芸員 | 福島克彦 |
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平成20年(2008年) サロン・ド・K 25年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/23 | お水取り | 奈良国立博物館 教育室長 | 西山 厚 |
2/27 | サイエンスと人間をめぐって | 大分大学医学部 創薬育薬医学 教授 | 中野重行 |
3/26 | アサヒビール大山崎山荘美術館の魅力 | アサヒビール大山崎山荘美術館 学芸員 | 杉浦美紀 |
4/23 | 人工衛星 − 日本の現状と未来 − | 独立行政法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA) | 伊東康幸 |
5/29 | ヒト,山に登る | 京都大学 名誉教授 | 左右田健次 |
6/24 | 美味しい豚について | 農事組合法人 富士農場サービス 代表 | 桑原 康 |
7/30 | 味覚の文化史 | 元 武庫川女子大学教授 | 大塚 滋 |
9/30 | 落語・夢幻の世界 | 天満天神繁昌亭支配人・和歌山大学非常勤講師 | 恩田雅和 |
10/28 | マグロ経済学 ―マグロを通して現代社会を考えてみよう― | 奈良県立医科大学 住居医学寄附講座 | 村上能庸 |
11/25 | 日本が世界に誇る農業技術・植物工場 | エスペックミック株式会社 環境モニタリング部 部長 | 中村謙治 |
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平成19年(2007年) サロン・ド・K 24年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/24 | 海はなぜ大切か? | 大阪市立大学大学院理学研究科 助教授 | 益田 晴恵 |
2/28 | 大阪経済の明と暗 | みずほ総合研究所㈱ 上席理事チーフエコノミスト | 公文 敬 |
3/28 | ドイツ・ロマン主義における《友情像》の系譜 | 東京学芸大学 教育学部 助教授 | 尾関 幸 |
4/25 | 漱石の関西講演 | 天満天神繁昌亭支配人・和歌山大学非常勤講師 | 恩田 雅和 |
5/23 | 環境先進国ドイツの試み | 元 和光純薬ドイツ法人社長 | 藤澤 一夫 |
6/27 | 舞台用語の基礎知識 | びわ湖ホール・音響デザイナー | 小野 隆浩 |
7/25 | 最近の中国の特許制度と諸問題 | 杉本特許事務所 所長 | 杉本 勝徳 |
9/26 | 豚肉にホウレンソウ ―遺伝子組換え学の最先端― | 近畿大学 生物理工学部 | 佐伯 和弘 |
10/24 | クモの糸の秘密を探る | 奈良県立医科大学教授 | 大崎 茂芳 |
11/28 | 日本仏教の歩み —仏教を考える手がかりとして— | 元 アスクプラニングセンター 常務取締役 | 石田 治資 |
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平成18年(2006年) サロン・ド・K 23年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/25 | 言語のステレオタイプ --役割語研究の展開— | 大阪大学大学院文学研究科教授 | 金水 敏 |
2/22 | 顕微鏡の中の不思議な世界 | キーエンス株式会社メクト事業部 | 松本 知也 |
3/22 | がんは生活習慣病 ─その予防・診断・治療─ | アンティキャンサー・ジャパン ジェネラルマネージャー | 杉田 憲治 |
4/26 | モンゴル草原の生活世界 | 国立民族学博物館 教授 | 小長谷有紀 |
5/24 | 病院の不思議 ー患者が主役の病院づくりー | 広島国際大学 社会環境科学部 住環境デザイン学科 教授 | 久保田秀男 |
6/28 | 薬が効くとはどういうことか | 元 武田薬品工業㈱ 常務取締役 兼 医薬開発本部長 | 中村 允人 |
7/26 | 一炊の夢:微生物科学哲学 | 京都大学名誉教授 グリーンバイオ代表、AMB 国際編集局主宰 | 木村 光 |
9/27 | 健やかな老いを迎えるために:脳の健康 | KKR大手前病院 病院長 | 生塩 之敬 |
10/25 | 世界の水、難波の水 ーミレニアム開発目標と茨田堤ー | NPO法人 日本水フォーラム | 尾田 榮章 |
11/22 | イチョウの伝播・交流史 ─原始の木から文明の木へ─ | 武蔵大学人文学部 教授 | 瀬田 勝哉 |
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平成17年(2005年) サロン・ド・K 22年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/26 | 脳と食欲 | 近畿大学 生物理工学部 生物工学科 教授 | 矢野 史子 |
2/23 | フィレンツェ−芸術都市の誕生をめぐって | 京都市美術館学芸課長 | 尾崎 眞人 |
3/19 | 海遊館における飼育と水処理について(訪問サロン) | 海遊館 | 北藤 真人 |
4/27 | 海外旅行と自己責任 | 大阪市立総合医療センター感染症センター所長 兼 大阪市保健所感染症対策監 | 阪上 賀洋 |
5/25 | 死を見つめつつ今を生きる —在宅で看取るターミナルケア— | 大阪・友愛会病院 院長 兵庫・生と死を考える会 常任理事 | 松岡 徹 |
6/29 | ライブドア騒動について | 弁護士法人栄光 代表役員 弁護士 | 片井 輝夫 |
7/27 | 花火よもやま話 | 日本煙火協会理事 国友銃砲火薬店 社長 | 国友 繁明 |
9/21 | 懐徳堂、その歴史と意義 ─現代への指針─ | 大阪大学文学研究科長 文学部長 大阪大学文学研究科教授 | 柏木 隆雄 |
10/26 | 日本の宇宙ライフサイエンス実験 | 財)先端医療振興財団 クラスター推進センター コーディネーター | 植村 勝 |
11/30 | 紫外レーザーを用いた薄膜の作製とその応用 −超伝導素子からインプラントまで− | 近畿大学 生物理工学部 電子システム情報工学科 | 本津 茂樹 |
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平成16年(2004年) サロン・ド・K 21年目 | |||
日/時 | 講演タイトル | 演 者 | |
肩 書 | 名 前 | ||
1/21 | 日本のわらい | 狂言師 | 茂山 千之丞 |
2/26 | Green Genesis 3rd Kind | 大阪府立大学大学院農学生命科学研究科 教授 | 村瀬治比古 |
3/24 | イスラームへの視座 −日本と中東− | 地域研究企画交流センター 教授 | 臼杵 陽 |
4/21 | 鳥インフルエンザ ??? | 大阪府立看護大学医療技術短期大学部 教授 | 今川 忠 |
5/26 | 動く遺伝子“トランスポゾン”と これを用いたバイオシステムの解析 | 近畿大学生物理工学部 生物工学科 講師 | 堀端 章 |
6/23 | 西洋製地図との出会い | 神戸市立小磯記念美術館 学芸係長 | 三好唯義 |
7/28 | びいどろ・ぎやまんとは何か —和製ガラスと輸入ガラスの実像— | 神戸市立美術館学芸員 学芸係長 | 岡 泰正 |
9/22 | 大阪平野の地下をさぐる —平野のおいたちと生活との関わり— | 大阪市立大学理学部環境地球学 助教授 | 三田村宗樹 |
10/27 | 日本列島はどのように出来てきたのか — 微化石研究からみた5億年の歴史 — | 大阪市立大学大学院 理学研究科・理学部 地球学 教授 | 八尾 昭 |
11/24 | 虫屋のDNAと虫のDNA | 大阪府立大学先端科学研究所(大学院農学生命科学)教授 | 八木 孝司 |
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30周年記念誌の紹介
サロン・ド・Kは、1984年1月以来、続いています。この間、発足から10年目、20年目、30年目には優遊空間と称する記念誌を作成。「優遊空間 サロン・ド・K10周年記念誌」を1994年に、「優遊空間 その2 サロン・ド・K20周年記念誌」を2004年に、「優遊空間 その3 サロン・ド・K30周年記念誌」を2014年に、それぞれ発刊しました。内容は、サロン・ド・Kの概要、講演内容(テーマとその講師)のリスト、メンバーの方々の寄稿文などを並べたもので、完成した本は、原則としてメンバーの方々に配布しました。国立国会図書館にも送付しましたので、国立国会図書館の日本全国書誌(No. 2481)の民間出版物にも掲載されています。
ここでは、優遊空間 サロン・ド・K30周年記念誌 より、私の拙文を紹介します。
30年の優雅な遊戯
その時、私は自分で夕食を作って食べた後、キッチンに立って皿洗いをしていました。一人暮らしですから、いつもの光景です。ふと、左足に痒みを覚え、足元を見ましたが、蚊は見えません。再び皿洗いを続けると、数十秒後同じ場所に今度は鋭い痛みを覚えました。只事ではないと感じ、スリッパを脱いでみると、左足の甲にムカデ張り付いています。慌てて足を大きく振ってみましたが、ムカデは張り付いたまま。仕方なく、手で取り払いました。急ぐのは、ムカデを殺すことと傷口の処置です。大変だ・・という意識ばかりで、冷静になれない状態で、食われた所にキシロカイン、ステロイド軟膏など塗ってみました。脹れて来るわ、痛みはどんどん強くなるわで、不安は広がるばかり。酷くなって気を失う……って起こる?もう救急車呼ぶべき?いや、もう少し様子を見る?……で、こんな時、誰かそばにいてくれたら……と、一人暮らしの危うさを心底痛感しました。結局は2時間後に、やっと痛みの軽減を自覚し、不安は和らぎました。
同様の不安は、3-4回/年起こった胆石発作でも経験しました。発作が起こると、腹痛で動けなくなります。発作は何時起こるか不明で、起こると今度は何時治まるか分かりません。(私の場合、軽ければ15分程度、酷いと2時間持続)この間、やはり痛みと不安で一杯になり、もうそろそろ救急車?となります。胆石は、発作が治まるとすっかり痛みが消えるため、オペを先延ばしにしていましたが、一昨年の暮れ、とうとう観念して摘出手術をうけました。こうして今のところ、救急車のお世話にならずに済んでいます。
こんなことがしばしば起こるので、もう一人暮らしに終止符……とは未だなりません。孤独、不便&不安の三重苦があっても、自由、平和&気楽の3重楽を選択します。少なくともこうして何とか動ける間は……。
こんなことを考えている今年は、弘江の七回忌であり、同時にサロン・ド・Kが30年周年を迎えます。こんなに長く、良く続いたものです。村上君を初めメンバーの皆様や講演して戴いた演者の方々のご厚意の賜物です。仕事場と家の往復だけでは世間狭くなるので……と気軽に始めたのがつい昨日のようです。今は亡き角辻先生には「肇ちゃんは頑固やから」と言われました。私は自分が頑固者とは思っていませんが、そう言えば、サロンの案内文のスタイルや運営法は変えずにやってきました。やはり頑固者かも知れません。だから続けて来れたのかも知れません。
サロン、この10年
ここで、サロンのこの10年を振り返ってみましょう。
1)メンバーの交代
何といっても大事件は、メンバーの他界です。内藤夫妻、角辻夫妻、寺岡さんご主人及び北村弘江が逝きました。これらの方々は、毎回サロン例会に出席して中心的なメンバーとして活躍してくれました。この連中はあの世でも、サロンを始めているかも知れません。リーダーは、角辻先生 and/or 北村弘江でしょうか? それでもサロンに参加人数が減っていないのは、新しくメンバーになってくれた人々がいるからです。中でも、ありがたいことに、若い人々(田中徹さんや万年さん夫妻、増田晴子さん、教え子の三好みどりさんや兵頭弘美さんら)がメンバーとして参加してくれています。
2)案内送付法
昨年、例会案内を伝える方法を新しくしました。案内を印字して郵送していたのを、メール&HPによる案内にした訳です。案じていた通り、送ったはずのメールが届いていなかったり、文字化けだったり、HPのパスワードが不明になったり……と種々の現象が出てきましたが、もう郵送の時代ではありません、メールやネットの時代です。
3)サロン会場
この10年、サロンの場所は、主として西梅田のガーデンシティで変わらず来ましたが、諸般の事情で今年9月よりグランフロント大阪のナレッジサロンに移ることになりました。グランフロントは本年春オープンしたばかりの人気スポットであり、その中のナレッジサロンには、いつも若い連中が溢れています。そのためサロン・ド・Kの雰囲気はこれまでのものとはガラッと変わる可能性があります。心配でもあり、楽しみでもあり……。
4)講演者
サロンを運営する上で、一番苦労するのは、講演者の確保です。友人・知人に講演依頼するだけではとても続きません。この点は、特に村上君のお世話になりました。彼は種々の方法で、全く知らない人物にもアタックしてくれました。村上君が多くの時間を割いて、頑張ってくれたおかげで、サロン・ド・Kは30周年を迎えたと言えます。サロンのメンバー自身も何度か講演してくれました。代表は、藤沢さん、中村先生、杉本さんでしょうか。
5)フィールドワーク
例会では、一泊サロンも敢行しました。葵祭や祇園祭です。前日に現地でセミナーを受けて一泊、翌日に街に出て見学しました。例会でセミナーを受けた後、別の日に訪れたのは、アサヒビール大山崎山荘美術館とお水取りです。特にお水取りでは、西山厚先生のセミナーを通常の例会で聞き、本番では練行衆による修二会本行を真夜中まで見学できたことは貴重な経験でした。その他には、海遊館での受講&見学あるいは有志で奈良歩きや京都まち歩き、なども敢行しました。これらの殆どすべて、企画から宿や有料観覧席の確保、レストラン探しと予約、電車の切符の手配まで、村上君が尽力してくれました。
この10年のサロンのニュースはこの程度です。コンスタントに、変わらずやってきたことこそ、特徴であり、有意義と言えるでしょう。
私のこの10年
次は、私個人の10年を振り返ってみます。10年前の61歳、私は大阪府立看護大学で、生まれて初めて管理職(短期大学部、部長)を拝命しました。管理職は、気が進まなかったのですが、最後は大阪府への恩返し、と考え2年やりました。個性豊かな教授たちを相手に、煽てたり宥めたり、ときには脅したり…サイエンスとは程遠い仕事で、とても楽しめるものではありませんでしたが、大いに勉強になりました。以後は、退職、いくつかの大学の非常勤講師、と続き、家内(弘江)の闘病・他界という大事件が襲い、失意と動転の中で一人暮らしが始まりました。
執筆:
この頃の主な仕事は念願の(補体のテキストの)執筆です。目的は、私がやってきた研究の、知識、コンセプト、追求法などを公表して若い研究者たちの糧にしてもらうことです。この本の発行は、私が生きた証であり、死ぬまでにどうしても完成させておきたかったものです。その内容も(すべて自分で書きたかったので)大変でしたが、出版を依頼したいくつかの出版社から「この本は売れないので……」と断られ続け頭を抱えました。それも従兄弟の佐山和夫氏らのサポートのおかげで何とかクリアし、構想5年で完成し、胸をなで下ろしました。夢の実現です。面白かったのは、この本が本屋(ジュンク堂)の棚に並んでいるのを教え子たちが見つけてその写メを送ってくれたことです。
本職:
大阪府(府立成人病センターでの臨床と研究、府立看護大学での教育と研究)を定年退職の後は、非常勤でいくつかの大学で教えましたが、母校の先輩である志水彰先生の(角辻先生を通じて)要請によって、志水先生が学長をされている私立大学の常勤として、退職後3年目から勤務しました。大学の教育方針に賛成できなかったり、新人類の学生たちについて行けなかったりもしましたが、今思うと私は、“学生たちにencourageされて”楽しく講義してきたと言えます。それも昨年、退職し、現在は別の私立大学の客員教授です。
趣味:
ご存知のように私の趣味は多くはありません。ゴルフ、アルコール、車、賭け事……はすべてダメ。趣味と言えるのは、音楽を含む舞台芸術鑑賞とサロンだけ……でした。ところが、ここに「料理」が加わりました。一人暮らしが始まり、必要に迫られて始めた料理でしたが、楽しくできるようになったのです。レパートリーも増えました。教え子達を含め、多くの方々が食べてくれます。食べた後、料理人に向かってはお世辞で「美味しい」と言いますので、そのまま信じる訳にはいきませんが、リピーターも多いので、ある程度は評価してくれているのでしょう。
CDリリース:
一方、音楽では、若い頃から時々作って来た曲が30曲位に達しました。メロディの美しさは少し自信があるので、多くの人々に聴いてほしいと思うようになりました。そこで、音楽プロヂューサーにお願いして、プロのアレンジャー、プロの演奏家によるCDを作ってもらいました。ありがたいことに、他所にはない、素晴らしいCDが完成しました。これは、執筆に次ぐ第2の夢の実現です。2枚目のCDリリースの話もあり、最近作った名刺には「ソングライター」というタイトルが入っています。
結局私は、人生の中で創造(creation)が一番楽しくて有意義であると思います。研究、執筆、歌作り、はcreationそのものであり、サロン活動もこの範疇に入るでしょう。これらは、exciting な仕事であり、作品は「生きた証」になります。
余談:
そう言えば、遥か昔、恐らく私が20歳の頃、母に連れられて行った占いで、言われました。家族の縁が非常に薄い、子供は多くて1人、一生金には困らない、中年以降に運が向いてくる、神経の病気に罹る、嫁が早く死ぬ、偉い人になる……と。これらが当たっているかどうかは兎も角、自分で立ち上げたサロンがこんなに長く自分自身の活力源になるとは、フォーチュンテラーさえわからなかったようです。
今後のサロン
サロンを大きく発展させる……は考えていません。この程度のスケールで良いです。これまでと同じように、コンスタントに続けていくのが良いと思っています。40周年に向かって、肩の力を抜いて、鼻歌まじりで、ゆっくり歩く……で良いでしょう。一方では、私自身の老化現象もかなりのものですから、どなたかにバトンタッチすることも考えておく必要がありそうです。メンバーの皆様のご理解とご協力をお願いします。
それではまたサロンで逢いましょう。